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へんろの人々 (2) 英語マップ著者:松下さん

「88 Route Guide」の著者に出版の経緯を聞いてみた!

当ウェブサイト「ガイドブック」のページでも紹介していますが、外国人のお遍路さんが必ずといっていいほど持ち歩いているのが、「Shikoku Japan 88 Route Guide」。四国遍路を回るために必要な情報が地図上に網羅され、寺院の区間距離や標高、公共交通機関を利用した行き方、寺院での作法などもコンパクトにまとまった英語版遍路本のロングセラーです。

このガイドブックの初版は2007年。それ以来改訂を重ね、2023年2月に第8版がリリースされることになりました。これを聞きつけ、著者の松下直行さんにこれまでの15年を振り返ってお話をきいてみることに。

いまでこそ四国遍路は海外でも広く知られるようになりましたが、約15年前の時点ではまだ外国人のお遍路さんは少なく、手間と費用をかけて英語版地図を発刊してもそれほど売れる見込みはなかったのでは? 松下さん、なぜ出版しようと思ったのですか?

(聞き手=遍路道情報センター事務局 村尾耕太)

松下さん(右)とお遍路仲間のDaveさん(左)

松下直行(まつした・なおゆき)1961年生まれ。大学卒業後、地図の制作・印刷会社である株式会社武揚堂へ入社し、国土地理院地図、観光地図、地質図などあらゆる特注地図を手掛ける。2004年に高松支店へ赴任。以来、四国遍路にどっぷりはまり、自らの調査を基に2007年武揚堂から著者・編集者・地図制作者として「Shikoku Japan 88 Route Guide」を発刊。2022年定年退職し、現在は大阪にて晴耕雨読の日々を送りながらしばしば四国を歩き、遍路道の調査・情報更新を続けている。測量士。NPO法人おへんろラボ等でボランティア活動も。

「印刷代だけ負担すれば何とかイケる」当時の松下さんのそろばん勘定

3年ぶりの改訂ということで、地図上の変化はずいぶんありましたか?

2年毎の改訂を基本にしていますが、今回は3年ぶりになりました。コロナ禍で旅行者が少なく、宿の一時閉鎖などいろいろ変化があって情報が定まらなかった。コロナ禍には本当に翻弄されました(笑)。

今でこそ外国人のお遍路さんはよく見かけるようになりましたが、そもそも2007年の発刊当時は外国人のお遍路さんは一部のマニアな人だけでしょう? 本が売れる見込みは立ちにくかったのでは? 

そのとおり。私は2004年に転勤で高松へ来て、四国ツーリズム創造機構(当時:四国観光立県推進協議会)さんの発注で四国遍路の多言語パンフレットを作らせてもらったんです。それを気に入ってくれて、2006年に外国人用の詳細な遍路地図が作れないかと相談を受けた。だけど、どう考えても先方の予算内でできないし、武揚堂で出版するとしても採算が合わない。

でしょうね。よく出せましたね。

私はもともと山歩きやサイクリング旅行が大好きで、四国へ赴任して遍路にハマり、出版業に身を置いてますから「いつかは本にしたい」という想いはありました。相談の結果、武揚堂で出すのなら初版は四国ツーリズム創造機構さんが一部買い取ってくれるという話になり、地図制作を私が無償でやれば、持ち出しは印刷・用紙・製本代だけで会社に迷惑はそれほどかからない。ならばと、刊行を決断しました。仕事で知り合った徳島大学のモートン常慈先生(当時:徳島文理大学)も研究の一環として格安で翻訳と内容チェックを引き受けてくれ、いろいろアイデアも出してくれた。けどまあ、当時は年間50部売れるのが関の山、赤字覚悟でした。

いろいろなサポートがあったわけですね。

私は地図職人なので地図は作れますが、遍路の情報面ではまったく力不足でした。そこで「四国遍路ひとり歩き同行二人」の情報を転載させていただけないかと著者の宮崎建樹先生にお願いに上がりました。先生のご本は今でも遍路のバイブルですけど、当時読み進むにつれ、先生の知識の深さ、こだわり、歩き遍路に対する愛情にたいへん感銘を受けました。何度も断られたんですが食い下がりました。紆余曲折の末「大師信仰を世界に発信できるのなら」と無償で英語版への転載を認めてくれました。

胸アツですね。

初版は皆さんの助けで何とか出すことができました。が、案の定こんなニッチな本は本屋さんに置いてもらえず、とりあえずアマゾンには出品しましたが、まったく売れない。販路としてはへんろみち保存協力会様が頼りでした。

当時46歳、地図制作者としてはベテランの松下さんでしたが、初版の出来にはまったく満足できなかったそう。メラメラと改訂への意欲が燃え上がり、初版は多くを廃棄処分して2年後には改訂第2版を発行。徐々に認知度が上がり、今は2~3年おきに在庫が切れた時点で改訂版を発行しているとのこと。第7版はコロナ禍で在庫が残りましたが、日本のリオープンに合わせ第8版発行の運びとなりました。

消えかかる旧遍路道を探して、藪の中をくもの巣をかき分けさまようことも

宿や施設の開廃業は毎年あると思いますが、遍路道自体はそんなに変わらないのではないですか?

遍路道に公式ルートというのはなく、先人が歩いた道、刊行物などで公表された道、宮崎先生らの研究で推奨された道などがベースになっています。道路のつき方が変わったり、歴史と必然性を鑑みてよりよいルートがあればどんどん変更します。なので、一般に遍路道の総距離は1,200キロとか言われますが、時代やルートの選び方によって違う。人が通らなくなり埋もれつつある道、すでに埋もれた道もある。

松下さんは大学で地理学を専攻されて、測量士でもあるんですよね。

いまも遍路道とその周辺の状況をこの目で確かめるために四国に通って、測量もします。趣味のマラソントレーニングを兼ねて1日70キロほど走ったり、藪の生い茂る山中をくもの巣をかき分けてさまよったり、現地の古老にヒアリングしたりもします。で、私の計算では今のところ歩きルート総距離は1,137キロ。

すべて目視で確認しているんですよね。それも何回も。すごいとしか言えない。

私にとって遍路は地理学的なアプローチによる研究対象です。自分で調査して得た地理情報は、GISソフトに入力してデータベースを整備しています。精度は縮尺1/2500相当で、建物の位置が特定できるレベル。その中で公共性の高い情報を吟味して、本に掲載しています。ただ私にとっては研究なので、例えば地図中の小さな★マーク(=遍路小屋やモニュメントなど)のように、他の人には興味がないような情報も載せています。

調査を続けるほどに情報が増えるでしょう? ページを増やしたくなりませんか?

予算の都合でページ数を増やすのは無理。でも、新しい知見や、ユーザーからの提案は積極的に取り入れています。だから改訂の度にページネーションが変わる。あと、本に入りきらない情報は、自分のサイトや信頼できる友人のサイトなどで提供しています。

このサイトも松下さんの成果や、その基になった宮崎先生の研究のおかげでできています。ありがたいことです。この宝物を、日本だけでなく世界の人に知ってほしい。
地元の人にとっても、海外からお遍路さんが来てくれることで恩恵があってほしい、そう思って活動しています。これからも続けていただきますようお願いします。

最後に、松下さんからこれから歩き遍路をしてみたいと考えている人にメッセージをいただきました。

便利さを謳歌する現代人はともすれば経済や効率を追求するあまり、人として何か大事なものを忘れてしまったかもしれない。遍路旅では見知らぬ人と心温まる会話がはずみ、とりまく美しい自然があたかも祝福してくれているように感じます。

そのような環境が「自利利他の心」を育み万物に優しくなれます。いにしえの遍路文化が色濃く残る四国の地で、この充実感を多くの方々に体感していただきたい。

「自利利他の心」とは自分の欲望をコントロールしつつ、相手の立場に立った思考ができる心のことです。「遍路の心」と言い換えることもできます。

遍路にとって四国は神聖な修行の場です。歩くだけで願いがかなうほど世の中あまくありません。非効率、不快、不安、欠乏、危険といった試練を与えてくれたことを感謝するのが遍路。不自由を我慢して、人の情けに助けられ、相手の立場に立った考え方をするのが遍路。人間の思考速度は歩く速度に合っていると思います。自然環境に溶け込めば感性が磨かれます。どうぞ、あなたも四国で素晴らしい体験をされてください。旅のご無事をお祈りしております。